天上の海・掌中の星

    “闇夜に嗤(わら)う 漆黒の。”
 




          




 一条の光も射さぬ…どころか、自分が目を開いているのかどうかさえ分からないほどもの暗闇というのを、あなたは体感したことがあるだろうか。辺りの様子が分からないどころではない、すぐ隣りにいる筈の人の輪郭も見えないし、顔まで上げた自分の手さえ、頬なり鼻なりに触れなければ分からない。そんな真の闇。漆黒とはよく言ったもので、ただ“暗い”というのではなく、厚みのある漆を何度も何度も塗り重ねたように、奥行きがある真っ暗闇。何も見えないのに、何も分からないのに、だからこそ、不意に何かに触れられることが怖くなり。そこがベッドの上ならば毛布で全身をくるみ込みたくなるし、肝試しの最中ならば、同行しているお友達にぎゅうぎゅうと必要以上にしがみついてしまう。
「何物かが分かっている対象への“恐怖”よりも、正体が解らないものへの“不安”の方が、怖さが大きいって言うからな。」
「そういうもんかなぁ?」
「そういうもんだ。………ほれ。」
「ひゃあぁっ!」
 何てことのない会話の最中、唐突に首条へと触れた正体不明の“ひやりん”とした感触へ、ある意味 素晴らしい反射にて、お尻がソファーから跳ね上がったほどにも“びくくぅっ”と慄
おののいた坊やへと、
「明かりを落としてテレビ観るのは、あんまり褒められたこっちゃねぇぞ。」
 背後からそんなお声をかけて来たのは、お夜食のグリルサンドと飲み物をリビングまで運んで来てくれた、金髪痩躯の天世界の天才シェフ殿であり、だがだが、
「ぞろ〜〜〜。」
 自分を驚かせた“悪戯”を仕掛けたのは彼の方じゃないってことも判っているルフィとしては、尚のこと悔しい。そろそろ腹減り時だろうと気を利かせたサンジが、キッチンに立ってゆき、危なげなくもトレイへと載っけて運んで来たグラスの1つ。坊やの肩越し、さりげなく腕を伸ばして先に掴むと、ぴたりと首条に当てるなんていうお茶目をやらかしたのは、テレビ前のソファーに坊やと並んで腰掛けていた、緑頭の守護殿こと“破邪”というお役目のゾロという御仁。大きな画面のテレビにて、凶悪な連続殺人鬼を追うこととなった素人探偵の活躍を描いた、そりゃあスリリングなアクションもののDVDを並んで観ていた彼らだったのだが。映画館みたいな気分になれるからと照明を落として観ていたものだから、キッチンから静かに戻って来たサンジの気配がルフィには届かなかったらしくって。それで尚のこと、唐突であり得ない奇襲に遭ったように、突然の冷たさへドッキリびっくりしてしまったものと思われる。
「何てこたない ただのコップが、何事かってほど怖かっただろうがよ。」
 正体が解らないと…の実際例だと言いたげなゾロへ、
「…こ、怖くなんかなかったもん。」
 口元を尖らせて言い返すところがまた、何とも言えず子供子供しているというのだと、天世界のお兄さんたちが二人揃ってついつい苦笑をし、

  「ほれほれ。そんなことより、夜食が冷めちまうからとっとと食べな。」
  「うわいvv 俺、カレーのがいいvv
  「熱いから気をつけな。」
  「おうっvv

 むむうっと膨れていたものが、あっと言う間にご機嫌さんになる辺り。やっぱり“坊や”でまだまだ十分だなと、ほかほかのサンドイッチを頬張る姿へ擽ったくもそんな風に思ったところまで、お揃いだったお兄さんたちであったらしいです。





            ◇



 早いもので、もう4度目の冬になる。地上に降りて来て、そして、この小さな坊やと出会ってから。その始まりを自分では思い出せないほどの、遠い遠い過去から今まで。その身をずっと、気が遠くなるほどの長い歳月の流れにただただたゆたせていたことが、遥かな過去へと置いてきた“昔話”であるかの如く。たった数年に過ぎないはずの、この彼と過ごして来た毎日の方こそが、実感を伴う本当の“生”の時間であるような、そんな実感に胸の置くが擽ったくも温かくなる。


 クリスマスにかけてと年末と。あんなにも寒かったのがちょこっとだけ和らいだところで始まった新学期。柔道部の寒稽古にもお元気満タンで参加した、当家最年少の坊やはモンキー=D=ルフィといい、この冬、市立V高校柔道部の最高学年生になったばかりで。
「だってのに、またまた主将への推挙を断ったって?」
「面倒だからだ。それに、ここで受けたら中学で断ったのに不公平じゃんか。」
 何じゃその理屈はと、目許を眇めつつも。大きな手のひらでまとまりの悪い髪を梳いてやる。10時を回ると眠くなるところまで、まだまだお子様な坊やを二階の子供部屋まで送ってやり、さあさ おやすみと寝かしつけるところまでを自分のお役目としているゾロであり、
「…なあ、ゾロ。」
「んん?」
 温かそうなフリースの部屋着の下、キャラクターもののパジャマに着替えていた坊やの、文字通り爪先から肩口までを、ふわふわの羽毛布団にて隈無くくるみ、どこもはみ出してやいないかと確かめたお兄さんへ。頬っぺまでもが布団と枕との境目に埋まってる坊やが小さくお声をかけて来て。
「サンジが来てるのは、これから“お仕事”だからからか?」
「う〜ん、まあ…そういうことかな。」
 一刻を争うというような大急ぎの代物ではないのだが、彼らでなくてはこなせぬ大きな“案件”には違いなく。星回りを見越しての封殺咒へのセッティングが、他の破邪や聖封たちの手により某所にて現在ただ今進行中。
「ここにまで影響が及ぶことじゃあないからな。」
 ちゃちゃっと行ってちゃちゃっと片付けてくるから心配は要らないぞと、手のひらだけでは足りないか、言葉でも撫でるように宥めてやれば、
「俺がどうこうじゃなくってさ。」
 むむうと頬を膨らませたルフィが、少々口ごもって…それから。

  「油断してて うっかり怪我とかすんじゃねぇぞ?」
  「………おや。」

 彼がどれほどの格であり、どれほどの腕っ節かはルフィだとても重々承知。それでも、あのね? 相手は滅ぶことさえ恐れない凶暴さをまとい、破壊や殺戮を求めて闇から這い出したような存在だから。心配するなという方が無理な相談かも知れず、それはゾロの側にだってようよう判っているのだが。
「やれやれ、俺は相当に信用がないらしいのな。」
「…そういう訳じゃあないけどよ。」
 からかわれたとでも思ったか、何だよ〜、心配してんのに…と。お布団の縁に口元を潜らせて不貞腐れて見せるルフィの態度へ、いかにも精悍で男臭い笑みを口許へ浮かべた破邪の君、
「俺は…。」
 何か言いかけて、だが。
「…ゾロ?」
 口許へと拳を当てて、少々戸惑いのお顔。それから…すいっと身を屈め、ベッドに顔を近づけると、
「昔はどうあれ、今は。俺は俺が俺だけのための存在じゃあないって意識をちゃんと持ってる。」
 静かに響く深みのある声。おでこや髪をそぉっと撫でてくれてた手が、頬へと降りて。
「…うん。」
 小さく頷いた坊やの瞳、薄闇の中でもかすかに見える潤みに視線を据えて、

  「俺が怪我をしたり居なくなることで、お前が傷つくってんならば。
   それもまた、出来るだけ回避せにゃならんって覚えたばかりだからな。」

 向こう見ずなところはなかなか治りそうにないし、負けん気も強いまま。たかが邪妖に食われてやるほど、まだまだ落ちぶれちゃあいないと。意気軒高で傲慢なくらいに強気なところもさして変わってはいないけれど、

  “…その強気に厚みが増したってところかねぇ。”

 何となりゃ自分なんかどうなったっていいという、どこか捨て鉢な種類の強気だったものが。帰って来なければならない使命感が加わって、守る者への責任感が彼をさらに強くした。伊達に傍らに居続けた自分じゃあないから、そんなことまで判るのが、
“自分でも難儀な性分だなと思うがな。”
 何で野郎の分析までと、しょっぱそうに苦笑をしつつ、先に外へとその身を移す。青く月光の照らし出す夜界は、そのまま結晶化しているように見えるほどにも冴えて美しく。だが、日輪が姿を見せないこの時間帯は、妖しの影もまたじっとしてはいない頃合い。今夜これから相対す予定の“お客様”も、下準備には一般レベルの聖封たちがあたっているほどだから、格は大した相手ではないけれど。その封印には“特殊部隊”にあたるだろう自分らクラスの力がいる存在だっていうから、
“馬力は大きいということか。”
 この世の始まりの“混沌”を貫いた聖なる雷光。そのあまりの目映さに追われて、地の底へと潜った輩たち。自分らを分かつた光を呪いながらも、同時に…その光の下でも平気でいる陽世界の存在とは元の鞘に収まりたがって、隙あらばとばかり虎視眈々と狙ってる。そんな負世界の陰体どもの跳梁を、片っ端から叩いて回るのが自分たちのお役目であり、どこぞの誰かのためではなくて、自分たちの世界の安寧のためだと、
“わざわざ正すように言い聞かされねぇと、どこまでものめり込んじまうから…なのかも知れねぇな。”
 寿命も短く、力も小さく、激しくて懸命で…だからこそ愛しき者ら。うっかり心を添わせたならば、後に待ち受けるは 遺されし立場の限りない寂寥だけと来て。
“利口者なら最初から近づかねぇか、対等だとは思わずに過ごすが。”
 あの馬鹿にそんな要領のいい“使い分け”なんぞ、そもそも無理だっての。と。自己完結したところへ、
「…待たせたな。」
 留守番にと来てくれたチョッパーへの言伝てを終えたらしい相棒が、やっとのことで現れたのへ、
「おう、待った待った。」
 あっさりとした応対を返してみたものの。小さなお家の屋根の上、月光の中に浮かび上がる逆シルエットもすらりと強かに、それは撓やかな肢体の人影が危なげなく立っていた光景は、残念ながら常人には見ることさえ適わぬのだが、
「…何だよ、妙な笑い方しやがって。」
「べっつに〜〜〜。」
 顔の半分を覆うほど、伸ばして垂らした金色の前髪の陰。どこか意味深な笑い方をしていたところを指摘され、適当なお返事を返した聖封様が先に跳び、いかにも怪訝そうに眉を寄せつつ、後を追うよに破邪様が続く。静かな冬の夜の底、いつもと同じ日常の延長を辿る彼ら二人を、冷ややかな寒風に揺れた椿の梢が、まるで手を振るような所作をして見送ったのだった。









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   *なんかまた、意味深なお話が始まりそうですよ?(苦笑)